「オフレコ」って・・・一種の談合みたい

「実は・・・」とか「本音を言えば・・・」とか言った類のお話はまともには受け付けないようにしている。「人の本質は分からぬものである」・・・私はここを人関係のスタートとしている。なぜなら私自身が統一性をもって一貫した生き方をしているとは到底思えないからである。朝令暮改どころか1時間後に「あなたさっき言っていたのと違うよ」というお叱りを受けるのが日常茶飯事である。最近は(いや、かなり前から)会社の同僚も、家人の皆も呆れ顔で既に注意することを諦めている様子である。

好き嫌いは目まぐるしく入れ替わるのである。昨日まで大嫌いだったピーマンが突然大好物になったり、毎日でも良かった〇〇が、見るのも嫌になったという具合である。対象が人であればなおさらである。ピーマンは大きな変化はしないが、人はそうはいかない。前回の訪問時では仲睦まじい夫婦愛に満ちたリビングが本日は罵り合いの修羅場に場面転換していた後ということもある。人への評価(特に愛憎の天秤は)なんて定まること自体がおかしい。繰り返すが、人の本質はわからないのだし、わかったような気になっても次に会うときにその人の不変は誰も保証できないのである。

ということで結論は本音を交わし合わねば良好な人間関係が成立できないと思い込んでいる人とはできるだけ近づかない方が安全であるというところに落ち着く。本音にかこつけた言葉ほど下品なものもはない。言葉は磨いて包装して他者に渡すべきものである。親しい者に対しても同様である、いやむしろ大切な人との会話こそ本音らしきものが行き交うはずである。であればなおさら丁寧に言葉は扱わねばならない。

「嫌いだから」が許されるのは己自身のとの対話の中でもー「無い」―と戒めなければならない。

ましてや政権の中枢にいる人は・・・である。

ケアマネ矢田光雄のひとり言

福岡県北九州市小倉北区真鶴にて「小倉ケアプランセンター」というケアマネ・ヘルパー事業所を経営しております。 こちらでは日々のひとり言をつぶやいております。

0コメント

  • 1000 / 1000