ホントはあの人達に言いたいが
忙しさにかまけて2ヶ月近くもブログの更新を怠っていた。忙しい中でも、否、忙しい時ほど人はせねばならぬ事から外れた分野に目が行く。しかもその角度が広がる。書きたいことが多くなりすぎて、数行で止まってしまって、ゴールラインまでと届かず棄権と相成っている次第である。
で、完走した(短距離だが)数少ない一つが以下である。
SNSでの誹謗中傷がエスカレートしていると聞く。2チャンネルの時代からそれは酷いものであったので、今更とは思うが規模が拡大すればその分エゲツさも広がるということであろう。飛び込むにはそれなりの覚悟がいると思うが、どうだろう。サファリパークを軽装で歩き回るようなものである。可愛いのもいれば、猛獣もいる。人の悪意は無数の色合いでかつ無限大であるから。キレイなバラには棘がある、との戒めもある。気をつけたほうが良い。
SNSの世界は人の心を単純化する言葉に溢れている。中でも大流行が「自己責任でしょう」であろう。昨今は時の権力者でも平気でなんの迷いもなく、むしろ確信を以てこのフレーズを使っている。「自助、共助、公助」など自己責任論の言い換えにすぎない。ネット上で見る分には問題ないが、事務所内で聞くと傍観者ではいられない。管理者としての責務がある。
「援助者は援助の対象者を評価(価値判断として)してはいけない」とはこの業界の鉄則である。ほとんどの「◯◯はいけない」は眉唾ものだが、これは守っておいたほうが良い。と、当該職員にアドバイスした。「守っておいた方が良い」がこの際のミソである。その後で心の中でも思わないほうが良い、も続く。どうしても思うのなら、何故自己責任論を否定しないといけないかをまず問いなさい、とも続ける。
何故それがだめかを明確に主張、説明できない以上は使わない方が良いし、思わないが得策である。少なくとも私は説明できないのでそれ以上の言葉を連ねることはできない。
分かっているのは「この業界にいると、どこかで突然しっぺ返しを喰らうよ」ということだけである。なんともズルい説明ではあるけども、今のところそれしか言いようがない。
説明しだすと、国家論、宗教論、東西の歴史、哲学、社会学などに関する貧しい知識をツギハギして二進も三進もいかなくなるのが落ちであろう。
「それを言っちゃおしまいよ」は思ってもいけない。それもある意味プロの有り様だろう。
令和5年8月15日
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