ご存知メロン事件
忙しさのせいにしてはいけないが、もともと上手くもない文章が荒れ気味である。
向こう三軒両隣のお付き合い、三軒長屋のドタバタ劇など昔は隣近所の茶の間の様子が子供でも大体わかっていた。それぞれの家計の状態も大方予想はついていた。名もなき庶民の世界では鷹揚、嫉妬、吝嗇、同情、憐憫、寛容等様々な感情が行き交う。本音はそれぞれの食卓での語らいの場にあり、建前は井戸端会議にあった。
味噌、醤油、塩などの調味料の貸し借りも日常のことであった。で、例えば醤油を貸して、戻った時にどれだけ減っていたら母親は不機嫌になっていただろうと思い起こしてみた。おおよそだが、1割以上減っていたら、ちょっと関係が怪しくなっていたと思う。
今の自分ではどうだろう。眼の前のものを分けるとき。
子供だったら8:2(自分)
嫁だったら5.5:4.5
友人だったら4:6
社員だったら3:7
赤の他人だったら1:99
分けるものの希少性、嗜好度、他その時の気分にもよるが、まあ、だいたいそんなところだろう。
その割合の変化によって感情の量や質が変化する。下手すると殴り合いにまで発展する可能性だってある。もっと想像を膨らますと殺し合いになることもある。例えば子供に食べさせる食料を間に挟んでのにらみ合いになればどうなるのだろうか。
そこで思い出されるのがおなじみ寅さんの「メロン事件」
私は食べ物を題材とした諍いでこのエピソードが一番好きである。
詳しくはユーチューブで「寅さん」「メロン事件」の検索ワードで見ていただきたい。
旅先で寅さんに世話になったと大企業の重役が手土産に持参したメロンが事件の発端である。これを皆で(マドンナも含む)寅さんの(たまたま)不在時に食べようとする(それぞれ1口、2口は進んでいる)。と、そこへ寅さんが帰宅。案の定メロンを巡って意地汚い修羅場となる。とても楽しいシーンである。でも哀しい場面でもある。
最終的に寅は子供のように皆を詰って、結果マドンナであるローズの正論の前にシュンとしてしまう。
でも、罪多きは寅を蔑ろにした皆ではなかろうかと思う。それは皆で大事に扱っている大切な、そしてそれは登場人物でただ一人トラのみが守っているモノ、その存在を忘れたという罪である。これが喜劇として成立しているのは守人である寅本人が忘れたので、一番重い罰は彼に与えられ、結果的に意地汚いピエロの役回りとなったからである。
この皆が大切にしていたもの、これがなかなか説明しにくい。説明しようとするとほとんど味気ないものになって宙に消えてしまうような、なかなか厄介なものである。
でも、確かに在る。あるからこそ、心の芯のあたりがじんわりするのである。
やはり分かりにくい文章になった。
令和4年4月14日
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