建物は時間の入れ物

若い頃足繁く通っていた居酒屋で「仏像見て歩きツアー」なるものがあって20歳そこそこの私も誘われ、何もわからぬままご年配のお歴々に引っ張られ国東半島の仏像を見て歩いた。後日仏像や社殿の写真を見ながら、もちろん酒を酌み交わしながらではあるが、「この眼差しの涼やかなこと!」「指の向きがなんとも知的で!」「うなじのラインに色気が!」などと盛り上がるのであるが、そこでふと気がついたことがある。

同じ写真でも仏像のほうがなぜかしら引き込まれるのである。社殿はというと単なる建物にしか見えなくなっていて、その場で体が感じたものが再現されず、感想も皮相なものに終わってしまうのである。素人写真なるが故というのもあるが、どう見てもただの古刹である。

なぜだろうかと思う。

で、ここ築42年の「真鶴会館」に戻る。1階にちょっとレトロな感じの喫茶店があり、時々そこでコーヒーを飲みながら息抜きをしている(社長特権)。入り口越しに玄関ホールが見える場所を定席とし、会館に出入りする人びとをなにげに観察している。イベント、研修、各種講座、趣味の会等への様々な参加者や出入りの業者などがホールを行き来している。これが42年続いているのであろう。もしここに定点カメラがあってその記録が残っていたらと思う。子育て支援教室の若い奥様は今70を過ぎ、孫の世話に明け暮れている。今高齢者パソコン教室に通っている80代の女性は若かりし頃はダンス教室に入れあげていたのかもしれない。映像が残っていたらそんな人びとの息遣いが感じられたのにと思う。

「真鶴会館」は42年間の地域の人々の時間を抱いているのである。

そう、そして私は、今その時間の中にいる。

ケアマネ矢田光雄のひとり言

福岡県北九州市小倉北区真鶴にて「小倉ケアプランセンター」というケアマネ・ヘルパー事業所を経営しております。 こちらでは日々のひとり言をつぶやいております。

0コメント

  • 1000 / 1000