新月や歯痛(しつう)の先に宇宙見ゆ
ダラダラとただ言葉のリズムだけに乗っかって書き続けてきたこのブログが突然パタっと止まってしまった。忙しいから、と思っていたがどうやらそうでもないようである。俳句に手を付けたからであろう。俳句の師匠(かなりのご高齢)から「俳句というものは忙しい時にこそ染み出し、溢れ出たものから生まれるのよ、来月までに五句作ってらっしゃい」との叱咤と命令を受けて以降さっぱり平文が書けなくなった。イメージの情景(事象)への移し替え、逆に情景(事象)からイメージへの取り込みなどを考えると、文章が続かなくなってしまったようである。日頃から更新しないHP、ブログ等は逆宣伝であると部下より圧を受けているので少し困っている。
そこでなぜか目に止まったのが「10年後は汎用型人工知能(AGI)が社会を動かすエンジンとなる」という孫正義氏のご託宣である。朝一のGPTとのミーティングは高額所得者が集まる役員会より有益とか。金魚になりたくなければ進んで使いこなすべきとやや脅しにも聞こえる発言も続く。孫氏がかくあるならば恐らく世界の超(兆)資本家は同じような考えを持つに至っていると考えるのが妥当であろう。
さて、人類が産み出した理(ことわり)を全て教授でき、かつ新たなるアイディア創出のきっかけをも与えてくれるAGIの到来は何を意味するのだろう。人の想像を超えるものを人以外のモノが生み出し、社会システムの中に組み込まれる。確かに無用な争いはなくなり、地球の存続は見込めるかもしれないが、果たしてそこに人類は必要な存在としてAGI様に認められるのだろうか。聞けば彼(彼女?)らは俳句、短歌も守備範囲とか。私(ヒト)のようにスランプにはもちろん陥ることもない。眼を見張るような秀句が次から次へと吐き出されるのであろう。恐ろしいとしか言いようがない。
令和5年10月27日
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