人の痛みとは
幼い頃教会の日曜学校に通っていた。そこには図書コーナーがあって子供用に「聖書物語」という貸出図書が並んでいた。その表紙が60年を経た今でも記憶に残っている。絵の主題は崖の窪みに落ちた迷い羊を助けようとしているイエス・キリストである。画角の中心に位置するイエスの眼差しは優しさに満ち、羊へと差し下ろす左手は白く美しい。彼の右手は茨のツルを握りしめており、両者の目線は表紙の左上隅から右下への斜線上に重なる。そこには羊への溢れんばかりのイエスの愛が流れていた。子供心にもそれは分かった。絵全体の主張もそこにあるのだろう。でも肝心なことはあとから降りてくる。この絵が記憶に残り続ける鍵は茨のツルを握りしめた彼の右手にある。全体に静寂が漂う画影に静かに動く血の流れ。その血の色に気づいたのは本当にかなり後のことである。見えていても気づかないことはある。幼いときはなおさらである。血が表す痛みはじわりと人をざわつかせる。
人をして自らを傷つけることなしには掴むことのできないもの、その(非)存在(この場合は茨のツル)が人を困惑させ、惹き寄せる。それは幼い心にすら滲み入っていたのである。
令和7年10月7日
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